飯島美歌について

決めたことは絶対曲げない頑固もの

\家族の根っこを強くする/
ラクうま♡ごはんの専門家
飯島美歌です。

オーガニック親子カフェを経営しながら
ママの心を軽く&家族を元気にする
おうちごはんをお伝えしています。

今回からしばらくの間、ちょっとだけ
私の昔話にお付き合いいただければと思います。

頑固な性格は生まれつき?

親や友人から「頑固だ」と言われることが多い私。
自分では「そんなに頑固じゃないと思うんだけど・・・」なんて思っていたのですが、
過去を振り返ると、なんだか頑固だったエピソードしか思い浮かびません。。。

だから私、すーごく頑固なのかもしれません!笑

 

自分で言うのも変なのですが・・・
私の人生は、今のところなかなか波乱万丈で面白い!笑
そしてその波乱万丈な出来事1つ1つが、
今の私をつくってくれていると強く感じています。

そんな私の【マイストーリー】ぜひお付き合いください。

寂しさを感じたことのないひとりっ子

私は埼玉県の川口市で生まれ、育ちました。
ここ数十年で都市開発が進み、商業施設やタワーマンションが立ち並ぶ
自然以外のものは何でもある便利な街。
(でも少し離れると昔のままの大きな公園や自然も残っているんですよ♪)

映画“翔んで埼玉”では関所があったのが川口でしたね。
ほんと、そんな感じのイメージのところです。


兄弟はおらずひとりっ子。
しかし“一人っ子っぽく育てたくない”という両親の想いもあり、
近所の同年代の子ども達と姉妹兄弟のように一緒に育ててもらいました。

祖父母や従妹たちも比較的近くに住んでいたので、週末は10人を超える大人数で食卓を囲むことも多く、特に寂しい思いをした記憶もありません。

そのおかげかあまり物怖じせず、比較的誰とでも仲良くなれるタイプ。
そして物心がついたときには《自分がこうと決めたことは絶対に譲れない》すごく頑固な子どもだった記憶があります。

怒られて家の外に出された時は「仕方がないか」と諦めて、そのまま裸足で近所をフラフラしていたり。
お祭りでとったスーパーボールをなくした時は、母親がつかんでいた浴衣の袖を引きちぎって人ごみの中を逆走していったり。
心配性の母はどれだけ心配したでしょうか。。。

その反面、思い通りにいかなかったりうまく伝えられないことがあると、とにかく涙が止まらない!!泣き虫な子どもでもありました。
メソメソ泣くというよりは、そのほとんどは悔し涙に近い涙だったので、やっぱり気が強かったのかな?

でもその頑固さはやりたいことは絶対に諦めないという長所にも繋がっていきました。

大好きだったモダンバレエとの出逢い

3歳になる前に始めたモダンバレエがとにかく好きで、そのまま大学に入るまで続けることになります。しかも、その間ほぼ皆勤賞!

残念ながら身体は硬いし、お世辞にも上手とは言えなかったバレエ。
でも人からの評価とか上手い下手とかは関係なかったのです。
ただただ好き。楽しかったのです。
それだけで休まずに15年近く毎週レッスンに通ったんだから、大したもんだと自分でも思います。
そう、頑固もそんなに悪くない。

そんな頑固者は、小学校最高学年になって友達との会話の中で《わたくしりつという中学校があるらしい》ということを知り、無謀にも「行ってみたい!」と思ってしまうのです。

それまで塾にすら通っていなかった私。
《わたくしりつ中学校》という学校名だと思っていたぐらい無知でした。

一度言い出したら聞かない性格の娘が、突然「私立の中学校に行く」なんて言い出したんだから、両親もさぞ焦ったことでしょう。
だって、そんなつもりなかったでしょうから。。。
よく許してくれたなぁと今でも思います。

そこから突然の塾通い、志望校巡りと慌ただしい1年でした。
ただ、志望校も私の「この学校の校門が素敵♡」という、まさかの門構えへの一目惚れで即決!
そこまで時間はかかりませんでした。

「もっと可愛い制服のところも…」
「こんなに自由な校風の学校も…」
「共学の学校も…」
そんな両親や先生からのアドバイスは、あまり耳に入っていませんでした。
だってそれぐらい素敵だったんです、校門が!笑
(偏差値が足りていなくて、きっと周りは止めるのに必死だったことでしょう。そんなこと、どこ吹く風の頑固者です)

そして・・・
“とりあえずやらせてダメだったら公立の学校に”と思っていたであろう両親の予想を大きく裏切り、なぜか第一志望の学校に合格!!
めでたく憧れの校門を毎日通れることになったのです。
素敵な校門への憧れ、恐るべし!!笑

校門への憧れだけで入学を決めた学校でしたが、私はそこでまた新たな“一目惚れ”をすることになるのです。

マイストーリーその2《下手の横好き!?》へ続く

こちらの記事もオススメ!