飯島美歌について

やりたいことは全部&全力でやってみる!

\家族の根っこを強くする/
ラクうま♡ごはんの専門家
飯島美歌です。

オーガニック親子カフェを経営しながら
ママの心を軽く&家族を元気にする
おうちごはんをお伝えしています。

ちょっとだけ私の昔話にお付き合いいただいています。
今日はとにかく忙しかった大学生時代の話。

中学高校時代の話はこちらから↓
【下手の横好き!?

やりたいことは全部やってみた大学生活

部活と勉強しかしなかった中高の6年間・・・
しかも校則も厳しく、放課後遊びに行くのも一苦労だった6年間・・・
そんなハードな学校から一転。

大学(しかも芸術系)はとにかく、自由の塊のような場所。

人も・学びも・とにかく全部が自由そのもの!
そんな風に感じました。

とにかく“新しいものが好き♡”な私にとっては、気になることの宝庫!!!

思い返しても、何の悔いも残らないぐらい
「やってみたい」と思ったことは全部全部やった、
なにもかも全力でやりきった4年間でした。

やってみたい①「映画が作りたい!!」

舞台照明や舞台音響について学びたい!と選んだ学部でしたが
実際に講義が始まると私の心をガッツリ掴んだのは…
照明でも音響でも舞台芸術でもなく、映像。
映像の中でも、映画の世界にどっぷりハマってしまいます。

限られた時間の中で,16:9の画面(映画のスクリーンサイズ)に、
たくさんの想いやテクニックを詰め込んでいく映画の世界。
もう楽しくて楽しくて楽しくて。

夏休みには映画を100本見て勉強したり、
仲間と空き家を借りて、泊まり込みで作品を作ったり、
脚本もカメラも出演も、一通りやりました。

天気や日の出時間・日の入り時間に泣かされた4年間。
よくある夕焼けのワンシーンを撮影するのがどんなに大変か・・・
(NGが続いたら、また翌日です。泣)
朝一で編集室に入り、気が付いたら夜!なんてこともしょっちゅうでした。

普通に生活していたら、なかなか経験できなかったこと。
「自分たちの作品がこの世の中にある」って、
今になってもなんだかとっても嬉しいのです♪

学園祭の時の生放送番組のMCに抜擢されて、こんな経験も♡笑

やってみたい②「歌が歌いたい!」

友人からの誘いで見に行った新歓ライブで、私はまたまた恋に落ちることになります。

あ、人にではないですよ?
ゴスペルにです。

そう、誘われて行ったのはゴスペルサークルのライブ。

その迫力と人間の声だけで作りあげる重厚感、
そして全力で、全身で音楽を楽しむ人たちの姿に
ズキュー―――ン!と心を撃ち抜かれました。

私もあの中で歌いたい!!!

しかし1つ問題が。。。
そう、、、私、音痴なのです。(名前は美歌なのに!笑)
前回の中学高校編のマイストーリーでもお伝えした通り、全く音楽センスがない私。泣

でも、歌うのはとっても好き♪
だから、どーーーーしてもゴスペルをやってみたい!!

芸術系の大学だったのもあり、お隣の学部はほぼ音大。
音楽センスに非常に長けた方々の集まりでした。
もちろんライブだって、みんなとーーーーーっても歌が上手。

悩んで悩んで悩んだけれど、私には音痴の仲間がいました!笑
音痴だけど歌いたい、そんな同志の仲間と共にゴスペルサークルの門を叩いたのです。

「音痴でも入れますか?」
と恐々聞いた私たちに、みーんなが「あったりまえじゃん♪」と言って迎えてくれました。
もう、全員が神様に見えました。

こうして無事にゴスペルサークルに加入。

寝ても覚めても歌う日々。
楽しかった~!!あー楽しかった!!

本当に、勇気を出して飛び込んでよかったと今でも思います。
ここで出逢った仲間も先輩も後輩も、今でも大好きで大事な仲間です♡

やってみたい③「アルバイトもやってみたい」

大学生活で楽しみにしていたことの1つがアルバイト♪

最初は都内のオシャレなカフェでゆるゆると始めたアルバイト生活でしたが、
お酒が飲める年齢になり、なんとなく居酒屋で働いてみたくなり
地元のお好み焼き居酒屋でのアルバイトを始めました。

・お好み焼きが好き(賄いに惹かれた♡)
・オープニングスタッフで楽しそう

そんなよくある理由で始めたアルバイトでしたが、
このお店が私の《飲食の仕事が好き》という気持ちの原点になりました。
ここで働かなければ、私は間違いなく“夫婦でカフェ”なんてやらなかったと思います。

当時のマネージャーさんは、今では飲食界…いや、経営者界の中でもすっごい人。
そんな方から《飲食店とはなにか》《接客とはなにか》《働くとはなにか》を叩きこんでいただいたことで、すっかり飲食店&接客の虜になってしまったのです。

そして、私のアルバイト熱をさらに燃やしてくれたのが、ここのお店のアルバイト時給が自己申告制だったこと。

毎月時給会議があり、翌月の自分の時給を自己申告し、店長やアルバイトを含む全スタッフからの承認をもって翌月の時給が決定するというシステム。

すごくないですか!?

若干20歳にして、常に
・自分はお店にどれぐらい貢献できているか
・自分は時給いくらもらえる価値がある人間なのか
ということを考え、行動し、仲間にも認めてもらう!という作業を
毎月させていただいていたのです。

もちろん、そんな甘い世界じゃありません。
時給が上がることもあれば下がることもある。
馴れ合いじゃなく、みんな本気で言い合うし認め合うから、
時給会議は毎月とにかく白熱していました。(平たく言うと半分ケンカです。笑)

ここで常に“1番高い時給をキープすること”が、
私にとっていい仕事をするモチベーションになっていました。

おかげで
・自分にできること
・得意なこと / 苦手なこと(それをどう活かすか)
・会社にどれぐらい貢献しているか
を常に意識し、アピールすることに慣れ、その後の就職活動での面接では
とっても楽をさせていただきました♪

そして“お客さまを笑顔にする”ことの虜になり、
接客の世界にどんどんハマっていくのです。

やってみたい④「でも、しっかり遊びたい」

映画も撮って、
サークルもまぁまぁ忙しく活動して、
アルバイトも本気でやって。

でも!!!
しっかり遊びました!!!笑
大学生ですから!!!

寝不足でも、忙しくても、遊べちゃったのがこの頃。
思い返すとすごい体力!!!

たまたま英語のクラスが一緒になった12人(ほとんど男の子だったけど)が、とにかく楽しくて気が合う仲間ばっかりで。
朝までボーリングしたり、ボーリングしたり、ボーリングしたり。
(だいたいボーリングでした)

夏には毎年、九十九里の貸別荘を借りて泊まりにも行きました。
毎回しおりを作り、おやつを食べながら鈍行列車で千葉まで。
(車で♪とかオシャレじゃないのが私たち流です)
バカなことを200%全力でやりました。
恐らくバラエティー番組を作れるぐらいのレベルです。
ちなみに私は、田中邦衛の北の国からのモノマネが鉄板ネタでした。笑

この時間があったから、他の事が頑張れたのかな~と今では思います。
今でも、30過ぎたオジサンオバサンとは思えないほどバカなことで笑いあえる仲間です。

そんなわけで、やりたいことを全力で詰め込んだ4年間は、毎日“身体が3つ欲しい!!”と思っていたぐらい忙しい4年間でした。

でも、色々なことを本気でやったからこそ、私はこの大学時代に人生観を大きく変える人達に出逢うことになります。

そんな人生を変えた出逢いについては、また次回書きたいと思います。

つづく

こちらの記事もオススメ!